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溜息は「ほろほろ」とおちる

「ほろほろ」おちて 何処かに溜まる

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【むかしばなし】(棚橋志津)



「しーちゃんがあの馬鹿どもと一緒にいられるのか心配だわー」
 白い壁と、白い天井と、白いベッドに囲まれて、体にたくさんの管を繋がれて。
 それでも母は、それまでとまるで変わらない調子でそう嘯いた。
「馬鹿と天才は……んー、変人と天才はだったかな? まあどっちでもいいわ。紙一重とかいうけどとんでもないわよね。あの馬鹿ども全部だから」
「……かあさん、あんまり喋ると」
「あらいいのよ。今日は調子いいから」
 母がなぜ入院をしていたのかは覚えていない。父が説明してくれたような気はするが、すぐ脱線するのと母の名前を呼んで泣き出すので結局よく分からなかった。医者も、まだようやく十歳を過ぎた程度のこどもに、詳しい話などしてくれない。
 ただ、あまり長くいられないことだけは、分かっていた。
 父は泣いて、兄は「そっか」と短く言って受け入れたことを覚えている。自分はどうしたろうかと考えても思い出せない。ただ、病室で母と話したことばかり、よみがえる。
「しーちゃんはあたし似だからなあ」
「……」
 その言葉にどうにも反応できずにいると、母は笑って、肉の削げた腕を伸ばして頭を撫でててくれた。
「顔も中身も。いっそ、ゆいくんに似れば良かったんだろうけど。……いや、駄目ね。そんなことしたら三人して死ぬのがオチだわ」
 急に真顔になってそんなことを言う母に、思わず目を瞬かせた。母が「馬鹿」と繰り返す父と兄は、こどものような見た目と性格をしている。兄はまだそれが許される年齢だったが、母の中では父も兄も同列に、一般人として駄目な人というカテゴリで既に括られているようだった。
 でも彼女が「馬鹿」と口にする時には、どうしようもないくらい優しい口調で。
「しーちゃんごめんね」
「? なにが」
「たぶん、しーちゃんはとても疲れるわ。あの二人、どうしようもないから」
「……うん、まあ。どうしようもないのはちょっと分かる」
「でしょおー?」
 眉尻を下げて、まったく、と言うような表情を作って、母は続ける。
「ゆいくんもさーちゃんも、食べるのすぐ忘れちゃうんだから。だからね、しーちゃんにあの二人のケツ叩いてほしいのよ」
「ケツ……」
「お尻を叩いてほしいの」
 別に言い直して欲しいわけではなかったのだが、母はわざわざ丁寧に二回繰り返して、志津の髪を指先で丁寧に梳いた。申し訳なさそうな顔をした母が、ちょいと首を傾げる。
「小学生のしーちゃんに頼まなきゃならないなんて、情けないんだけどねえ……あたしもゆいくんも、親戚あんまりいないし、頼めそうな人いなくて」
「いいよ」
 遮って言った承諾に、母は丸い目を瞬かせた。
「いいよ。やるよ。……俺しか、いないんでしょ。俺が頑張るよ、かあさん」
 噛み砕くように言えば、母はゆっくりと、目を瞬かせた。頭を撫でていた手が滑り落ちて、肩を抱いて引き寄せられる。ベッドに半身を起こした母に、半ば引き倒されるようにして抱きしめられる。薬と、どこか饐えたようなにおいが鼻先を掠めた。
「ごめんねえ、しーちゃん」
 切なそうに、呟くような声色で母は謝った。
「ごめんね……おかあさん、いてあげられなくて」
「……いいよ」
 細い腕に、頼りなげな体に、本当は声をあげて泣いてしまいたかった。
 けれどいつも朗らかでいる母の、泣きそうな声をしている彼女の前で、そんなことはできやしなくて。
「大丈夫だよ、かあさん」
 宥めるように繰り返し、そう答えた。




 母がのぼる。
 母を焼いた火の煙が、よく晴れた空に、のぼる。
 儚くもなく、どこか軽やかにも見えた。
 母らしいと思った。
 父はずっと泣いていた。
 兄は志津の手をとって、ずっと空を眺めていた。
 五年前、母が空へとのぼった日。
 志津は、




**************************
ざっくり志津のお母さんの所在の話。
元々父と兄の影に隠れがちなこどもでしたが、この辺からさらにそれが加速。
ケツを叩くんじゃなくて自分が面倒を見なきゃ!って負っちゃったのがたぶん敗因。
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創作好きな籠り虫。
腐海でもなんでも自由に行き来します。
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