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溜息は「ほろほろ」とおちる

「ほろほろ」おちて 何処かに溜まる

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【重み】(学生戦争/カイナ、虎市)


 あなたはそうでしょうね、と諦めきったような目を向けられて、カイナは思わず動きを止めた。蔑むのとは違う、ただ自分とは明らかに異質のものを見るような、冷めきったその視線に思わず眉を寄せる。
「……んだよ」
「みんな、あなたのようだと思わないほうがいいですよ、先輩」
 一つ下の後輩である彼は、そう言って笑う。その笑いがまた気に障った。口の端をあげるだけのそれは穏やかと言ってもいいようなものであったのに、感情に訴えかけられてくるのは穏やかさとはほど遠い。妙に苛立つ。
「あなたは、たしかに怪我をしてもまた前線にたったのでしょうね。すごいと思います。素晴らしい」
 言葉は柔らかに、上滑りする。
「……でも、みんながそうできるわけじゃない」
 彼が視線を落とす。そこには、包帯と添え木で固定された右足がある。彼の右足が負ったのは骨折などではなく、広域に広がった裂傷だった。決して切れ味が鋭いとは言えない刃物で抉るように傷つけられたそれは、たとえばきちんと手当てをしてリハビリをしてもどこまで動くようになるかわからないというのが医療班長の見立てだ。
 自分にも重なるようなその怪我を負った後輩の怪我を診ながら、大丈夫だ、それでもまだできることはある――そんな風に、声を掛けたのに返ってきたのが、先程の言葉だった。
「俺は、もう止めますよ。やってらんないですよ。こんなの」
「――」
 それも、選択だろう。別にカイナもそれを咎めるつもりはない。しかし彼の言い様は、彼のその決断をむしろカイナのほうが責めているような、そんな響きがあった。す、と視線が逸らされる。
 ああ、これは、自嘲か。
 穏やかに見えたその笑みの本当の種類に気づいて、カイナは今度こそ、口をつぐんだ。
「はっはあ、落ち込んでるなあ。ええ? ふーん。へーえ?」
 歌うような調子で面白そうに言った虎市を引き倒して、肩口に負った火傷に氷嚢を押し当てた。やだねえこっちは怪我人だぜ? と飄々と嘯く虎市は、けれどそれ以上反論らしいことは口にせず、大人しく氷嚢を支えている。
「なあカイナ。いつものあれは言わねぇのかい」
「あ?」
「いつものお前さんなら、ここで一言うるせぇ殺すぞくらい言いそうなもんなのに。はっは。本気で落ち込んでやがる」
 けたけたと笑う虎市に眉を寄せる。それでもかっと怒鳴り返すようなことにならなかったのは、虎市がそれだけ全力でからかっておきながら、一方で無理にその内容に踏み込むようなことをしなかったからだ。その辺のバランスが、彼女は本当にうまい。
 ため息を一つ、しばらく冷やすようにだけ注意して、横に腰を下ろした。傷が持った熱が落ち着いたら薬と包帯を当てればいい。幸いにか、今すぐに手当てを必要としているのは彼女くらいで、カイナの手も空いていた。
 治療の道具をしばらく検分していたカイナは、一人で話続ける虎市の言葉が途切れたタイミングで言葉を発する。
「トラ、手前ぇ、もし手なり足なりが使えなくなったらどうする?」
 虎市はカイナの問いかけに、うん? と首を傾げた。
「俺の傷ぁそんな酷かないと思うけど」
「今の話じゃねぇよ。……例えば、だ」
「おやあ。お前さんがそんな話をするのは珍しいねえ。そうだな」
 少しだけ、考えるように黙り込んでから、虎市はきっぱりとした口調で言う。
「俺ならさっと足を洗うね」
「――そうか」
「おやまたへこんだ」
 どこか面白そうに言う虎市は、横に座るカイナを背もたれにするように寄りかかりながら、まあ聞けよ、と指を立てる。
「俺ぁ、お前さんがたと違って戦場で果てるなんざまずまずありえねぇ。潜り込んで情報を取ってこれる間が花さ。戦うが能ならお前さんのようにやり方を変えてってこともあるかもしれねぇが、生憎俺は一点特化ってやつでね。潜入やら調べもんやら、十全にできなきゃ終いなのさ」
 だからちょっとでも損ねたら足を洗う。
 そう締めくくって、虎市はひらりと片手を翻した。それが視界の端に入って、カイナは溜息を一つ、点検を終えた道具を元の通り入れ物に戻しながら口を開いた。
「俺は……やり続けられねぇのが嫌で、仕方を探した」
「お前さんは、そうだろうねえ」
 虎市が差し挟んだ相槌に、思わず眉間に皺が寄るのが分かった。それは、彼の口から零れ落ちた言葉に近い。それに気付いたのか、虎市がけらりと笑う。
「おいおい。そんな怖ぇ顔をするもんじゃねぇよ。俺ぁ、別にお前さんの有り様を悪ぃと思ってるわけじゃねぇぜ」
 ただ、と虎市は一度言葉を区切る。
「悪くねぇから性質が悪ぃ、とは思ってるけどな」
「……」
「お前さんは、まあ、まっつぐな奴だよ。ちょっとでもお前さんに関わった奴なら分かってることさ。お前さんの言葉にゃ裏なんざないんだろうなあ。労りに嘘はねぇし、励ましも心から。大体お前さん自身が一回挫けかけたところから這って上がった奴だ。なるほど、これ以上に真に迫った言葉もねぇ。
 ――だから重いのさ。お前さんの言葉は」
 言葉もなかった。
 そんな大した奴じゃない、という類の反論ならいくらでもできたが、虎市はこれで、意外と中立の物事を語る。饒舌に重ねられた言葉は、だから、おそらくカイナが汲めなかった部分の事実だ。
「支えにできるかその重みでそのまま折れるかぁ、そりゃあそいつの素養次第さ。お前さんは悪くねぇ」
「……性質が悪ぃ、か?」
「おう。まっつぐなことの何が悪いもんか。お前さんの言葉は反論もできねぇ、間違いもねぇ、まっつぐな正論さ。ただそれを受け止めるにゃ、強度が足らん奴も多いのさ」
 どんまい、と随分軽い調子で言って、虎市はカイナの肩口を軽く叩いた。おおよそ、この問答で何があったのかは察したのだろう。それ以上の言葉は重ねず、にやにやといつも通りに笑う。既に大方溶けてしまったらしい氷嚢をカイナの手元に落として、よっこらせ、と立ち上がった。
「まあ、災難だったねぇ」
「災難?」
「お前さんは、だって、そういうことに当たったところでやり様を変える御仁じゃねぇだろう。だからただの災難さ。今まで当たんなかったのは、まあ、周りの奴らが随分気のいい奴らだったと思って忘れなよ。それ以外やり様もないんだから」
 それで大体喋り終えた、とばかりに虎市は別れの言葉も言わずにふらりと踵を返した。夜にまた冷やせよ、とその背に投げかければ、片手を振って返される。しばらくそれを見送って、カイナも辺りの道具を集めて立ち上がる。
 手にした氷嚢が、とぷり、と重い水音を立てた。

___________________________________
正しいものはたまにひとを傷つけるって話。
カイナをへこませたかった。
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