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溜息は「ほろほろ」とおちる

「ほろほろ」おちて 何処かに溜まる

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【写真】

写真と緑の目の怪物のはなし。








 アリスの部屋の、赤のスツール。上から二番目の抽斗。柔らかいビロードに包むようにして、その写真はしまってある。
 自信があるのだろうというのが一目で見てとれるような表情をした男で、でも、だからこそその笑みは美しいのだと、いつだかアリスは笑って言った。
 笑っているのに、悲しそうだった。
 僕を見ているのに、どこか遠くを見ていた。
 その抽斗にしまわれている写真は一枚きりで、アリスは時折それを眺めていた。夜が多かったように思う。カーテンをつけないせいで夜の闇が直接入りこむ部屋の中で、飾られていた異国の鮮やかな布が映えていた。本に囲まれた、アリスの好きなものだけを詰めた城。その中に置いたソファにかけて、何時間も何時間も、写真を眺めていた。
 自分が拒まれていると感じたりはしなかったけれど、近寄りがたかったのは本当だ。
 まるで、写真の男とアリスが会話をしているように感じたから。
 何一つ言葉を発しないのに、アリスの表情は折々と変わっていく。どこか楽しげかと思えば呆れたように、そうして何かを思い出して少しだけ眉を顰めて、でも最後はいつだって、懐かしそうで悲しそうで――苦しそうで。
「……お父さん」
「あら……アベル、起きてたの?」
 その瞬間を図って呼べば、アリスの表情は即座に霧散する。
 だからいつだって、ずっと見ていた。
 細く開けた扉の間から、アリスがあの男と『話す』のを、いつだって。せめて苦しそうなあの顔をやめさせるくらいは、自分がすることなのだと思いたくて。
「おいで」
 手招かれるままソファに寄っていけば、ひょいと手を引かれてアリスの隣に座らされる。
「あら、冷たいわね。ベッドから出る時はちゃんと上着を持って来ないと駄目よ、アベル」
「ごめんなさい」
「謝らなくてもいいわ。でも、あなたが風邪を引いたら心配ね?」
 言いながら、羽織ったストールを僕に巻いてくれる瞬間が幸せだった。彼がその瞬間心配しているのは自分で、それならいっそ風邪を引くのも悪い案ではないと思っていた。
「……写真」
「うん?」
「見てたの」
「ああ……そうね。あなたのお父さんに久しぶりに会いたくなって」
 アリスが目を伏せる。
 深い緑が、まるで黒曜石のように暗く沈んだ。
「あなたのお父さんは――そうね、とても騒がしい人だったから。会っていると寂しい気持ちも飛んでしまうようだった。その分色々叱りもしたけれど……いい人だったのよ」
「そう」
 それじゃあ今は?
 寂しいの?
 よぎった疑問が口から出ることはなかった。
 聞いてしまったら本当に、負けてしまう気がした。
 アリスの口から紡がれる、『父親』の話は自分にとって遠くて、それと一緒に向けられるアリスの目が同じくらい遠くを見ていて。
 その緑の目が僕にじりじりとした感情を植え付ける。
「……お父さん」
「どうしたの」
「ちょっと、寒い……」
 紡がれるあの男のエピソードを遮って言えば、心配そうな表情のアリスがこちらを見下ろす。
「あら……本当に風邪でも拾っちゃったのかしらね。大丈夫、アベル?」
 大きな手が額をなぞって、頬を優しく撫でていく。熱を確かめるそれが異常を見つけることなどきっとないのだろうけれど。
 ストールにくるまったまま頭をアリスの肩に預けた。しばらくそうしていれば、そっと抱きあげてくれる。
「今日はもう寝ましょうね」
「ひとりはやだ」
 ねだるように言えば、仕方なさそうに笑ってアリスは自分の寝室へ連れていってくれる。ビロードに包まれた写真は、少しだけおざなりにしまわれた。
 ずっと一人で使っているという割には広いベッドに下ろされて、暖かな掛布でくるまれる。じっと見上げれば面白そうな笑いを漏らして、アリスは僕の隣に体を横たえる。そのままちゃんといてくれそうなことを確認して、目を閉じた。
「明日、熱が出るようならちゃんと診ましょうね」
 目を閉じたまま、頷き返す。
「いい子ね、アベル。――よく、おやすみ」
 柔らかなものが額に触れる。そうして少しだけ頼りなく感じるような細さの腕が僕を包むようにしてくれているのを感じながら、ゆっくりと意識は眠りに傾く。
 写真のことなど、この人の意識にきっとない。
 具合を悪くしたかもしれない、『いい子』の息子に気をとられて。
 緑の目に魅入られた僕にとって、あの写真は必要ないのだ。
 これでいいと、小さく笑った。

                    (『あのおとこ』よりぼくをみて)

***********
Green eyes=嫉妬
10歳と41歳くらいかなあ……

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創作好きな籠り虫。
腐海でもなんでも自由に行き来します。
基本文字書きだと思ってたけどここ数年逆転しつつある。
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