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溜息は「ほろほろ」とおちる

「ほろほろ」おちて 何処かに溜まる

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【彼が考えていたこと】(学生戦争/カイナ)




 ずっと、考えていたことがある。

***



 何がいけないというなら自分がいけない。前線に出ていた同輩を庇うのに咄嗟に出たのは双剣のひとふりではなく、それを握った左腕だった。それでも骨を断たれるほどではない。無理やり押し返して、もう一方の手に握った刃で相手を威嚇して距離をとった。バランスを崩しながらこちらに向けられた太刀が、顔の右側を掠める。
 たった今のことだというのに、一気に赤く染まった左腕と右半分の視界に思わず舌打ちが漏れる。悲鳴のように呼ばれた名前に、叫び返した。
「うるせえ! 叫んでる暇あんなら走れ……!」
 これ以上この場で交戦が起きれば、腕どころではすまない。それでなくとも、前線という状況では視認できるだけでかなりの数の敵がいた。庇った相手もまた、浅くはない傷を負っている。だくだくと頬を伝う液体を乱暴に拭って、次いで飛び込んできた一人を蹴り飛ばす。
「二ツ木二年、退却!!」
 叫べば何人かが了承のサインを返す。それを見たかどうかのタイミングで、カイナは地面を蹴った。喧騒に背を向けて駆けだしたその先でも、進路を阻むように敵は現れる。走り込んだその勢いで飛び上がった。相手が呆気にとられた一瞬を見て相手が咄嗟に構えた腕に足をかけて踏みつけた。やや無茶な動きに体が軋む。相手の手から零れた武器を遠くに蹴り飛ばして、そのまま止まらずに駆けた。
 左腕の感覚は、既になかった。


***


「は」
 思わず声を漏らせば、担当になったという救護班の一人がすっと目を逸らす。清潔な布に覆われた左腕は相変わらず感覚がなく、いつになれば動かせるだろうかと尋ねた瞬間、相手の顔が曇った。
 右目は、まあ駄目だろうと思っていた。
 なんの武器が掠ったものか、よく確認をしていなかったのだが決して鋭利とは言えないような武器で表面を撫でられたそれは、相当酷い状態だったらしい。彼もまずはそれについて触れたし、なんとなく自分でもそれは予期していた。
 しかし元々同室の彼ほど整った顔でもない。視界が狭くなるのはたしかに痛手ではあったが、それこそ両目が潰されたわけでもなし、訓練次第でどうにかなるだろうと踏んでいた。
 しかし、左腕は。
「……もう、動かない、ってことか?」
「残念ですけれど」
 彼は痛ましげに目を細めた。知己というほどではないが、訓練や作戦の度に世話になっている相手だ。下手に隠す方がカイナの気に障ると分かっているのだろう。戦闘方としては致命的な事実を、悲しげにしながらもはっきりと告げる。
「神経が駄目になっている部分があります。すぐに処置すればまだもう少し、状態は良かったかもしれません。けれど二ツ木さんは前線から戻られるのに時間がかかったので、」
「もう無理だってことか」
「……はい。本当は、もっと、どうにかできれば」
 もっと早く処置できれば、と。彼は悔やむように呟く。救護班がいたのは本営――前線から一番離れた場所だ。元々戦闘に向かない人員がそろっていることもあるが、治療中に無防備になる彼らが前線に出ることはない。
 だから、責めるようなことはなにもない。
 彼が悪いわけではない。
 そう、言わなければ。
「……そうか」
 頭ではそう思っていたのに、口から漏れたのは短い、そんな言葉だった。相手はまた何かを言おうとしたのか口を開いて、しかしそれは何も音をなさずに閉じられる。しばらく迷うように視線が泳いで、すっと伏せられた。
「とりあえず、処置は済んでいますが、出来る限り安静にお願いします。腕と顔以外大きな怪我はありませんが、念のため。痛みがあったら、また、呼んでくださいね」
 事務的に告げて、彼はカイナに背を向けた。その背を見送って、カイナはうつむく。視界に入った腕をあげようとして、失敗した。
 動かない。
 動かない、のか。
「くそっ」
 左腕に向かって振り上げた右手は、けれどそのまま下ろすことは出来なかった。綺麗に巻かれた包帯。丁寧に処置されたそれは、去っていった彼が施したものだ。
 動かないと知っても、丁寧に。
 ぎこちなく腕を下ろして、ぼんやりと空を見る。そういえば、帰ってきてから一度も、同室の顔を見ていない。
「……戻る、か」
 安静にとは言われたが、救護室に留まるのも具合が悪かった。立ち上がって、ゆっくりと体を引きずるように歩く。
 左腕が重かった。


***


 同室の彼のことだ。
 長い黒髪に、一見すると細身の体。表情の滅多に変わらない顔は、けれどひどく整って見える。背こそ高いが、ともすれば女性に見えるような佳人。
 見た目のせいか侮られることが多かったが、それは彼が戦う姿を見れば一変する。見出す作戦も、戦いも、彼の全てに無駄はない。基本的な動きの組合せではあるが、優れた身体能力で補われたそれは、最低限であるがゆえに崩しづらい。
 カイナは都合、彼と手合わせすることが多かった。カイナ自身も戦闘方として前線を張るだけの力はあったし、戦績は大体半々といったところだろうか。訓練とは言え、同程度の相手と勝った負けたと競うのは楽しかった。


 そうしながらカイナには、ずっと、考えていたことがある。


***


 寮室の扉を、静かに開ける。
 それはアキラと同室になってから身に付いた癖で、よく眠る彼を邪魔しないようにと始めた結果、もう必要もないだろうと分かっていてもしてしまうことの一つだった。
 アキラの、背が見える。
 彼は珍しく眠っていないようだった。長い髪が垂れた背は、カイナのそれよりも少しだけ大きいはずで、しかし今は、なぜだか妙に心細く見える。
 扉を開けた状態で、カイナは思わずその背を見つめた。
 ずっと、考えていたことがある。
 それは手合わせの度に過ったことでもあるし、最終学年が近づくにつれて、徐々に大きくなっていった考えでもある。
 あの背を守るのは自分だろう、と。
 アキラは、きっと一つの部隊を任されるようになるのも遠いことではない。一方で自分は、体格に恵まれたわけでもなく、アキラのように作戦を立てる才覚に恵まれたわけでもない。戦うことだけが、アキラに競える唯一だった。
 だから、せめて。
 彼が強いことは知っていたが、部隊を動かすだろう彼の背を守るのは。
「……アキラ」
 でも、それすら出来なくなったと。
 きっとアキラも知っている。
 一瞬間を置いて、アキラがゆっくりと振り返った。その顔に表情は薄く、いつも通りに見える。こてん、と首を傾いだ彼はカイナを視認してゆっくりと瞬きした。
「――戻ったのか」
「応」
「腕が」
 そこまで言って、アキラは一度言葉を止めた。
「……腕が、もう動かないと聞いたが」
「左腕がな」
「そうか」
 短く応じて、アキラは言葉を切った。戸惑っているようには見えない。落胆も、憐憫も、何一つ、その表情には浮かばない。
 しかし、どこか凝ったような雰囲気だけが、いつもの彼と違っている。
「……もう戦場には出られないな」
 ただ、ぽつりと。
 そう言った。
 ――ああ。
 感じ取ったように思えた、なんとも言えない感情が、正しかったのかは知らない。
 ただ、カイナは残った右腕をアキラに伸ばしていた。ぐしゃり、と。頭を、撫でるようにかき混ぜる。視界の端で、左腕に巻かれた白色がちらついた。
「出るぜ」
「……どうやって」
 黒目がちな目が、すっとカイナの左腕に走る。
「戦えないだろう」
「戦えねぇよ。けど、出来んこともあんだろ」
 もっと早くと呟いた彼の姿が過る。
 ひどく心細そうな、取り残されたような目の前の同輩の背も。
「救護班に移る」
「……お前が?」
 ここにきてようやく、アキラの声に感情らしい感情が伺えた。驚きを滲ませたアキラが次の言葉を探している間に、言葉を重ねる。
「両腕が持ってかれたわけじゃねぇ。怪我してる奴のとこまで行く足も残ってる。……何か文句でもあんのか」
「いや……」
 何か言いたげに目を細めて、けれどそれ以上何かを言うこともなく、アキラは一度こっくりと頷いた。
「それなら、申請をしておこう。……まだ、そちらは使えないな。報告は」
「交戦した、もう一人がしてる」
「そうか」
「……置いてかねぇよ」
 会話の流れに沿わない言葉に、アキラの視線がこちらに向いた。深い色の瞳が、まっすぐにカイナの隻眼と交わる。
 返事はなかった。
 ただ反論もなく、ふい、とアキラは視線を逸らして、机へ向かう。
 その背にはもう、弱弱しさなどない。
 彼の背を守るのは自分だと思っていた。
 それが出来なくなったなら。
 ――彼が背を向けるしかないものを、拾いあげよう。


 


 二ツ木カイナはその後、リハビリを経て救護班として戦場へ出た。
 それは異様な早さであり、周囲を驚かせたが、そののちの言葉に、ようやく烏羽アキラは彼の意思を知った。
 前線救護――カイナがそれを言い出すのが、この半年後のことである。


*************************
学生戦争より。過去話。
自家キャラ:二ツ木カイナ……黒軍3年。見た目ヤンキー。元戦闘方の救護班。
お借りしました:烏羽アキラ……黒軍3年。部隊長。よく眠る。(冬木さん)

戦闘方から救護班に移る辺りの話。
アキラさんに関しては捏造気味。随時修正します。

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